草摺與佩楯

草摺(くさずり)・佩楯(はいだて)・臑当(すねあて)

隨著戰鬥的大規模化・集團化,保護士兵的生命及身體的甲冑(鎧兜)也跟日漸著進化。
至此而引人注目的是下半身的部份。到了室町時代(1336年-1573年),步兵對步兵的戰鬥模式已經一般化。為了提高機動性,甲冑(鎧兜)的製作及設計也在擴大下半身的可動域之同時,嘗試著提高下半身的防御力。

 

草摺(くさずり)簡介

草摺指的是懸垂在甲冑(鎧兜)的胴的下方,用來遮蓋並保護由腰部到大腿部份的部品。通常都是用皮革及鐵板等與胴相同素材製作而成的。

草摺的枚數是隨著甲冑(鎧兜)種類及時代之不同而跟著變化的,4枚到8枚左右的比較常見。

大鎧的草摺

大鎧の草摺

 

大鎧の草摺

大鎧用的是懸掛在前後左右合計共4枚的「四間草摺」(よんけんくさずり)。

由平安時代(794年-1185年)開始,到鎌倉時代(1185年-1333年)為止的這段期間的戰爭都是以騎射戰為主,所以在當時裝甲特別的厚,而且附有寬大的草摺的大鎧算是最具合理性的防護具

在這個時代製作的大鎧的草摺都是由用小札連結而成的小札板所構成的。透過皮革製及鐵製的小札之交互使用,兼顧了甲胄之輕量化及防御性能的提升的需求。

 

 

 

胴丸的草摺

 胴丸の草摺

 

胴丸の草摺

胴丸是在以歩兵開始成為戰力主流的時代登場的。大鎧是一種相當重的裝束,原本就不是地上を歩くこと自体ほとんど想定されていないつくりでした。

その一方、胴丸は地上での歩兵戦用に作られた甲冑です。大鎧のような大きく重たい草摺は、歩くのには不向きだったのです。そこで、胴丸の草摺は大きく形状を変化させます。

まず、四間草摺だった物が、「八間草摺」(はちけんくさずり)になりました。これまで4枚で足周りを防護していた物を、8枚に細分化したのです。これにより、機動力が格段に上昇しました。

 

 

 

腹巻の草摺

腹巻

 

腹巻

胴丸とほぼ同じ時期に作られた腹巻も、胴丸同様、歩兵戦のために作られた鎧でした。腹巻における草摺の枚数は、5~7枚と幅がありますが、大鎧よりも分割されており、動きやすさの面では格段に上でした。

さらに腹巻は、小札を5段重ねる形式の胴丸よりも短く、2~4段で形成されていました。胴丸は切込の数を増やすことで機動性を上げ、腹巻は裾自体を短くして機動性を上げていた、と考えることもできるでしょう。

 

 

 

 

当世具足の草摺

鉄錆地縦矧五枚胴胸取具足
鉄錆地縦矧五枚胴胸取具足

 

到了戰國時代之後,由於步兵戰更加的激烈化,、強度とさらなる軽量化が求められました。

 

このとき、胴丸や腹巻を下地にした甲冑が進化していきます。

従来は胴からそのまま連結していた草摺ですが、下腹部までを覆う胴部と草摺が完全に分離し、「揺糸」(ゆるぎのいと)を長く取り、より自由度を高めた形で繋がれるようになったのです。

縅毛の処理技術の進化、小札のバリエーションが増えたことなども手伝って、様々な草摺が誕生しました。

特に特徴的なのは、南蛮胴の草摺です。「徳川家康」が所用していたと伝わる「鉄錆地縦矧五枚胴胸取具足」(てつさびじたてはぎごまいどうむなとりぐそく)は、プレート状の鉄板などを縅した物で、横方向への柔軟性がほとんどなく、西洋甲冑のように左右開きになっています。

 

佩楯(はいだて)簡介

佩楯是用來保護大腿及膝蓋的防具,使用時像圍裙一樣的綁在腰部以蓋住左右大腿。

佩楯在古墳時代(250年-710年)就已經出現,在平安時代被稱為「膝鎧」(ひざよろい)。其形狀上的特徵是,為了能使兩腳行動靈活而分成為左右兩片。和胴及袖同樣的,一般都是用小札編串製作而成的。

佩楯的歴史

佩楯

 

佩楯

由室町時代末期開始到戰國時代,戰爭日漸的大規模化・激烈化,為此佩楯的種類也隨著增加,如何提高防御性及柔軟度就成了重要課題。在伊予札被發明出來之前,所以縅佩楯主流,之後就以伊予佩楯與板佩楯為主流。

縅佩楯、伊予佩楯、板佩楯都是以實用性非常的高為特徵。鎖佩楯雖然是非常優秀的防具,但是因為製作成本非常的高,所以很少被採用。

在江戸時代(1603年-1867年)前期,由於戰爭日漸減少,戦いの少ない時代となり、甲冑自体が作られることは減りました。その後、江戸時代中期になると、甲冑の芸術品としての価値が再発見されます。いわゆる「復古調」の流行です。

復古調では、機能性よりも図柄を意識して甲冑が作られます。佩楯の中でも、特に意匠を凝らしやすい板佩楯と、宝幢佩楯が好んで作られるようになりました。

佩楯の種類

兜や鎧、袖と同様に、小具足である佩楯も基本的には小札を縅して制作する形式が一般的でした。作り方によって幾つかの種類があります。

  1. 伊予佩楯(いよはいだて)

    伊予佩楯

     

    伊予佩楯

    伊予佩楯は伊予札を使った一般的な佩楯です。伊予札を使うことで軽量化と柔軟性を保っていました。山形県の指定文化財となっている「色々縅伊予佩楯」(いろいろおどしいよはいだて)は、革製で黒塗、伊予札を5段にわたって縅しています。草摺の内側に、直接腰紐を括り付ける形で使用されていました。

  2. 板佩楯(いたはいだて)

    板佩楯

     

    板佩楯

    伊予佩楯と同様に一般的だったのが、板佩楯です。こちらも、大きな伊予札状の物を使っていますが、伊予佩楯が伊予札を縅して作られたのに対し、小札を縅したあとに漆で塗り固めて、板状にしたという違いがあります。これによって板佩楯は伊予佩楯よりもさらに軽量化することに成功しました。ただし、柔軟性にかけるため、前面にぶら下がっただけの形となっています。

  3. 縅佩楯(おどしはいだて)

    縅佩楯

     

    縅佩楯

    縅佩楯は、他の甲冑の部位と同じように、小札を縅して作られた佩楯です。動きやすさの観点では伊予佩楯や板佩楯に劣りますが、防御力が高く、芸術的な図柄を出しやすいという特徴があります。当世具足としては位の高い武将が使っていた他、江戸時代の復古調では、より絢爛に見せやすいため、この形式が取られた物も多いようです。

  4. 鎖佩楯(くさりはいだて)

    鎖佩楯

     

    鎖佩楯

    細かく鎖をつないで作られた佩楯は鎖佩楯と呼ばれます。鎖佩楯の最も優れている点は、高い柔軟性と防御力。鎖をつなぎ合わせているため、守るべき部位にぴったりとフィットします。また、鎖の繋ぎ目で変形するため、非常に動きやすい構造でした。

  5. 宝幢佩楯(ほうどうはいだて)

    宝幢佩楯

     

    宝幢佩楯

    上半分が伊予佩楯、下半分が3つに分かれた縅佩楯のようになっています。立ち姿では守るべき膝回りに隙間があり、歩兵戦には向いていませんでしたが、馬に乗るときにはこの切れ目が膝の柔軟性を上げる効果がありました。騎馬武者を中心として用いられていた他、復古調の佩楯として多く制作されています。

臑当(すねあて)とは

臑当とは、その名の通り、臑を守るための防具で、膝からくるぶしを覆い、古くは古墳時代から着用されていました。古代は「足纏」(あまき)と称され、平安時代に騎射戦が主な戦法だったことから、当時着用された大鎧の小具足として発達。

以降、時代の変容や戦法の変化によって、臑当も進化していきました。

臑当の種類

筒臑当(つつすねあて)
筒臑当

 

筒臑当

筒臑当は、鉄板3枚を蝶番でつなぎ合わせた形の臑当です。脛の正面に1枚の金属を配置し、その左右に1枚ずつ金属を蝶番で留めた形をしています。

これを脛に巻き付けるようにして装備し、革紐で繋ぎ留めて使用していました。この形式に類似する臑当は非常に古くからあると考えられ、古墳から出土された武装埴輪において、臑当の存在が確認できます。

篠臑当(しのすねあて)
篠臑当

 

篠臑当

細い鉄板を横方向に並べ、布に貼り付けて形成する臑当です。

筒臑当りも密着性が高くなりますが、布地が露出している部分は防御性能が低くなるという弱点もあります。

鎖臑当(くさりすねあて)
鎖臑当

 

鎖臑当

鎖を布に貼り付けて形成する臑当です。篠臑当の弱点である金属の隙間を減らすことはできましたが、当世具足の小具足として使うには制作コストがかかることから、そこまで広く普及したわけではないようです。

臑当の進化

臑当は古墳時代からその存在が確認されています。ただ、日本式甲冑(鎧兜)と古墳時代の甲冑(鎧兜)については、厳密には種類が異なる防具であるという見解も有力。そのため、臑当についても同一系譜上にあるとは言い切れません。

大鎧が中心となっていた時代は、筒臑当が一般的でした。その後、室町時代を経て、臑当のカバー範囲が膝上にまで拡大した「大立挙」(おおたてあげ)が流行します。

大立挙も筒臑当ではありますが、膝までカバーする形に進化したため、後ろ側に金具が届きません。そこで、「臆病金」(おくびょうがね)という細い金属板を当てることになります。臆病金は、敵に背を向けたときに初めて見える金属だったことから、その名が付けられました。

篠臑当や鎖臑当の手法が編み出されたのは、戦国期以降と考えられています。筒臑当よりも柔軟性に優れ、機動性を上げるためです。戦乱の世が終わり、江戸時代中後期になって復古調が流行すると、再びきれいに磨き上げた筒臑当が臑当の中心となりました。

 

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